南方熊楠の十二支考の、虎の項を読み切らないうちに、浮気心がでて、違う本を読んでしまった。
『吉宗と宗春』 海音寺潮五郎
吉宗とは、徳川八代将軍 徳川吉宗のことで、徳川の御三家として、紀州・水戸・尾張、とあるのだが、吉宗は、紀州の出身で、元々は、将軍になれるようなポジションにはなかったのが、強運により、紀州藩主となり、ついには、あれよあれよと将軍にまで、のぼりつめたのだ。
方や、宗春も、次々と、兄たちが倒れ、ついには徳川御三家の一つ、尾張藩の藩主に、上りつめる。
吉宗と宗春は、元々、性格、性質が対照的であり、吉宗が将軍になる過程で、紀州・尾張の暗闘があったようで、吉宗、宗春が、対立するのは、宿命であった。
倹約令を出し、徹底的に、緊縮財政を推し進める、吉宗に対して、宗春は、城内に、遊郭を三つも設置するわ、武士の芝居を許すわ、イケイケ政策で、名古屋城下は、空前の繁栄をみせた、という。
要するに、この不景気な じでゃぁに、にゃーごやに どできゃぁ カージノ おったてて ウッハウッハ ウッハウッハ もうけるだにゃーよ
といった、感覚だにゃぁ
最終的には、質素・倹約を旨とする、吉宗に破れ、隠居・謹慎を命じられるに至る。
ま
ムズカシイ話はさておき、この物語を下敷きに、ミュージカルを作っては、どうだろうか。
大岡越前は、加藤剛
そして、吉宗は、もちろん、松平健
そして、宗春も 松平健
吉宗は暴れん坊将軍っぽく
宗春は、マツケンサンバのノリで・・・・
きっと受けるぞ!!
おばはんに・・・・
『吉宗と宗春』 海音寺潮五郎
吉宗とは、徳川八代将軍 徳川吉宗のことで、徳川の御三家として、紀州・水戸・尾張、とあるのだが、吉宗は、紀州の出身で、元々は、将軍になれるようなポジションにはなかったのが、強運により、紀州藩主となり、ついには、あれよあれよと将軍にまで、のぼりつめたのだ。
方や、宗春も、次々と、兄たちが倒れ、ついには徳川御三家の一つ、尾張藩の藩主に、上りつめる。
吉宗と宗春は、元々、性格、性質が対照的であり、吉宗が将軍になる過程で、紀州・尾張の暗闘があったようで、吉宗、宗春が、対立するのは、宿命であった。
倹約令を出し、徹底的に、緊縮財政を推し進める、吉宗に対して、宗春は、城内に、遊郭を三つも設置するわ、武士の芝居を許すわ、イケイケ政策で、名古屋城下は、空前の繁栄をみせた、という。
要するに、この不景気な じでゃぁに、にゃーごやに どできゃぁ カージノ おったてて ウッハウッハ ウッハウッハ もうけるだにゃーよ
といった、感覚だにゃぁ
最終的には、質素・倹約を旨とする、吉宗に破れ、隠居・謹慎を命じられるに至る。
ま
ムズカシイ話はさておき、この物語を下敷きに、ミュージカルを作っては、どうだろうか。
大岡越前は、加藤剛
そして、吉宗は、もちろん、松平健
そして、宗春も 松平健
吉宗は暴れん坊将軍っぽく
宗春は、マツケンサンバのノリで・・・・
きっと受けるぞ!!
おばはんに・・・・