サイボーグへの道   

おやじカヤッカー サイヨバ  

2006年05月

ライブじゃ~

生まれて初めて、ライブに行ったのは、世間一般から言うと、たぶん非常に遅く、24歳ぐらいの時だった。
足利の「屋根裏」というジャズ喫茶音符に、エルビン・ジョーンズが来たのだ。
エルビン・ジョーンズとは、ジャズの巨人(読売とちゃうで)ジョン・コルトレーンが、最強のコンボを組んでいた時の怪物ドラマーで、若くしてすでに、レジェンド(伝説)であった。

ライブの楽しさに、味をしめたわたしは、続いて、同じ「屋根裏」で、板橋文夫(ピアノ)トリオを聴きに行った。
足利出身という、彼の曲「わたらせ」が、演奏された時は、水面を、輝く光で満たされ、滔々と流れる渡良瀬川の情景が浮かび上がり、即興音楽の持つ表現力の豊かさに、驚かされたものだ。
彼は、同時に、ワンセットが終わった時に、ピアノのワイヤーを一本切っていた、という、剛腕ピアニストでもあった。

中島さんは、かつて、その板橋文夫に師事しており、新宿のピツトインなどで演奏活動を続け、エルビンとも、一杯飲んだこともある、という。

そんなわけで、以前、わたしの行っているスポーツクラブの会員で、入会するや、猛烈な勢いで、バタフライまで、マスターしてしまった中島さんのピアノ・プレイに、興味があったのだ。

子育てなどで、離れていたライブ活動を、また再開することとなり、その一発目が、今回の国立でのライブだそうな。

で、ガチ・エイジを誘い、いそいそと出かけたのだった。

メンバーがすごい。

   中島久恵(ピアノ)
   是安則克(ベース)   
   ツノ犬(ドラムス)


是安則克といい、ツノ犬といい、あちこちのCDで名前を見かける。
各方面で、非常に信頼されているミュージシャンなのだ。

是安則克は、見た感じが学者のような風貌。
アコースティックのベーシストって、インテリな感じの人が多くないか?
バール・フィリップスとか、ジャン・ジャック・アブニルとか、チャーリー・へイデンとか、ゲイリー・ピーコックとか、チャーリー・ミンガス汗・・・ちょっと違うか・・・。

つの犬は、あの、つのだひろの甥っ子、であるとともに、つのだじろうの甥っ子でもあるそうだ。
どうりで、プレイの最中、背後にうしろの百太郎がいたわけだ。

曲は、すべて、中島さんのオリジナル。
演奏は、緩急自在で、長く聴いていても、決して飽きない。
アンコールは、すごくシンプルなメロディーのリフレインに、ベースラインが絡む。マイルスデイビスの「ネフィリティティー」の中の曲みたい(ただし、日本のジャズ特有の情感あり)に、同じフレイズが、繰り返される。
でも、ずっと聴いてられる。

三人の交感がすばらしい。

是安さんは、お帰り、と言わんばかりに、暖かく寄り添っている感じだし、つの犬さんは、やんちゃをするスキをうかがっているみたいで、ここぞ、というところで、ターボをかけまくる。

でも、あとで知ったところによると、リハの時は優しいのに、いざ本番になると、自分のペースに巻き込もうとするらしい。

そのあたりまで読めれば、ジャズのライブはもっと面白いんだな。

あと、もうひとつ

今回の聴衆の中で、おれとガチが、ぶっちぎりで下品な客だったので、われわれぐらいが標準であれば、もっと、会場の空気がディープでジャジーになっただろうけどなぁ・・・。
いや・・・、バラ族でサムソンな雰囲気ではないよ。決して。

なつかしや

ライブに、関東方面の大学に在籍している、芦屋時代の水泳の教え子を誘おうと、メールを送ったら、電話で返ってきて、今、教育実習のため、関西に帰っていて、芦屋の元選手の面々で、集まって飲んでいる、という。
次々に入れ替わり立ち代り、電話口に現われる、かつての教え子たちに、懐かしさ全開であった。

当時の中校生から小学生。震災をきっかけに、おれが転勤になって、解散状態になった。
11年前のことだ。
その間、一度もあっていない子もいれば、川下りに連れて行って、恐ろしい目に合わした子もいる。ちなみに、その時おれは、
指を骨折しちまったんだよ~困った

競技成績は、県大会がやっとの子もいれば、大学になって、世界選手権に行った子もいる。
そして、チームを手伝ってくれた、ふたりのコーチ。
そんな面々が、今もこうして、年齢やら職業やら関係なく集まる。

その場に居合わせられなかったのは、ちょっと残念だが、
やっぱり選手を担当していてよかった。

神戸に帰りたい気分になるなあ
川があればな~

やっぱり、それかい。

痛いぞ!

三週間ほど前から、手首に違和感があり、ひねったりすると、痛い。
手首の内側に、小型の異生物が棲息していて、食い破るタイミングを、今か今かと待ち構えている、そんな違和感だ。

筋肉疲労か?

困った事に、心当たりがない。
突然、朝起きると、なっていたのだから・・・。
しかも、いっこうに良くならない。

痛風の発作?

これは多いにありえる。
オレの身体の中に鎮座しておられる、痛風が、時々、足の付け根なんかに、悪さをするのだ。
それは、本当に、動かしても、じっとしていても、痛い。

痛風だったら、尿酸値を下げる薬をもらうだけで良い。

というわけで、病院に行って来た。
以前、左手中指を骨折した際に行った病院だ。

問診書に、痛風をほのめかす事を書いておいた。
自分の中では、痛風と、決定している。

他に何が考えられる?

で、結果は、というと、なんと

腱鞘炎(けんしょうえん)

またまたまた、そんなうそ言って。
ほんとうは、金属疲労でしょ

だまらっしゃい怒りわたしかって生身の人間どす

でも、そういえば、心当たりがひとつ、あったのだ。

背泳ぎである。

今年になって、わたしは、美容と健康のため、ロング・スイムを週に何回かやっていて、若さと美肌を保っているわけだが、最近、背泳ぎを導入しはじめた。つーても、まだ二回しかやっていないのだが・・・。

しかし、これが良くなかったようなのだ。
背泳ぎの手の動きは、意外に、複雑なひねりを伴う。
25m 20ストロークで泳いだとして、片手を10回、水の抵抗の中でひねることになる。

100mだと40回
1000mだと、400回

この手首の運動を繰り返す。
ソフトボールの投球ぐらいの負担は、おそらく手首に受けているはずだ。
ということは、いきなり、400球のソフトボールの投球をやったことに等しいと思うが、

どんなもんでしょうか。
ソフトボールに詳しい、ガチさん。
この負担、侮れんでしょう。


おもちゃのチャチャチャ

『おもちゃのチャチャチャ』って、チャチャチャやったんや電球

おれ的には、今世紀最大の発見である。

先日のお昼前、プールでは、おかあさんと赤ん坊の『ベビースイミング』のレッスンをやっていた。
そこに、CDラジカセのBGMで流れていたのが、

『おもちゃのチャチャチャ』

言うまでもなく、こども向け歌謡の名曲である。

作詞は、火垂るの墓、黒の舟唄、マリリンモンロー・ノーリターン、ダサッパーでジャンボでお馴染みの野阪昭如

聞こえてきた音楽は、ラテン調のアレンジが施されていて、そこで初めて気づいたのだ。
思わず、レッスンが終わった時に、プールに入っていたコーチ(笑顔が素敵ドキドキ大)に、
「おもちゃのチャチャチャって、チャチャチャなんだ」
というと、
「チャチャチャですよおっ」
と、香ばしいリアクションと、最高の笑顔を返してくれた。

うちに帰って早速調べてみた。

『一九五〇年代は世界的にも中南米の曲が流行、マンボやチャチャチャの人気が高まり、野坂はこの「チャチャチャ」と「おもちゃ」の「チャ」の音をかけ、歌詞のイメージを膨らませて作詞をしました。』
                  シリーズ 日本のうた  より抜粋

ほうら、やっぱり、チャチャチャやったんや

面白かったぜい

『猪瀬や西岡達の変態本読んで場合じゃねーぞ。権力者に言い寄るカスヤロー達の言い分は、ロッカーは、聴かんでいい』

という、Venちゃんからのお達しである。

猪瀬の政治家としての評価は、よくわからないが、歴史家としては、かなり評価できるんじゃないか、と思う。
少なくとも、怨霊歴史学をでっちあげて、クンショウまでとった

梅原某

よりは、百倍良い。
資料をしっかりと読んでいる、ということだけでも、評価できるでしょう。
梅原某なんかに比べると・・・。

で、

「黒船の世紀」 猪瀬直樹

むっちゃ 面白かったっす。

単行本で、1993年に刊行なので、かなり古い本なのだが、
それだけに、9.11、アフガン戦争、イラク戦争なんかを通過してきた今、黒船にはじまるガイアツとしてのアメリカのやり口を、現在のそれと比較してみると、実に興味深いものがある。

日露戦争以後、日米がもし戦争をやったなら、というテーマで、開戦論、反戦論、日本人、アメリカ人、イギリス人、軍拡、軍縮、楽観論、悲観論、さまざまな立場のひとびとが、未来戦記を書き、政治家、軍人、国民、に現実に影響を与えた。

それらが滅茶苦茶に入り組んだベクトルの先が、日米戦争だったのである。

それにしても、人々の思惑は、往々にして、皮肉な結果を生み出す。

日米戦争は、あってはならない、という意図でイギリス人のヘクター・C・バイウォーターという人物によって、書かれた未来戦記が、対米英協調派と言われていた山本五十六に読まれる事によって、結果的に「真珠湾奇襲」の構想が浮上し、日米戦争の口火を切る事となる。

意外だと思ったのは、陸相時代は、強硬な開戦論者だった東条英機が、総理大臣に任命され、いざ、日米開戦を決めよう、という段階で、逡巡していた、というのである。
もはや、日米戦争に「成算なし」と、誰も言えない空気であったらしい。
そこには、楽観的な日米未来戦記が国民をあおったイケイケ・ムードダンスも、一枚かんでいるのだろう。
この辺の雰囲気は、

「ぼくたちの好きな戦争」 小林信彦

に書かれているようなものが、あったのではないだろうか。

いずれにしても、メディアのあおりには、かなり、用心した方が良さそうだ。

さて、この本は、満州事変の仕掛け人、石原莞爾が、極東軍事裁判のアメリカ人検事に「平和に対する罪」を問われて言った言葉でしめくくられている。

「ぺりーが来航しなければ、日本は鎖国の中で充分に平和だった。裁くならペリーを裁け!」(爆笑)


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