非連続渓流小説
『パドル・ウーマン』
英国の海岸で、ずぶ濡れで発見された男、「ピアノ・マン」が話題になっている。
大きな話題にはならなかったが、わたしは、数年前のある事件を思い出した。
それは、早朝わたしが、T川に沿って続く遊歩道を散歩していた時の事だ。
ひとりのずぶ濡れの女が、川原に倒れていた。
まだ、生きているようだ。
体温があるし、呼吸もしている。
抱き起こすと、口の端から一筋の血をたらし、白目をむいていたので、一瞬ひるんだが、たまたまとおりかかった初老の男に手伝ってもらい、警察に連絡をしたり、保温のためのタオルを確保したりと、ひととおりの介抱の真似事をやった。
推定年齢、12才から30才。ようするに年齢を特定できない、高橋Qちゃんタイプの小柄な女だ。
肩のあたりを軽く叩いて声をかけると、
「タマー」
と、うめいた。
結局これが、わたしが聞いた、この女の唯一の言葉になった。
やがて、救急隊が来て、警察が来て。
わたしは、休暇の一日の大部分を、警察署での事情聴取に費やすはめになった。
数日後、わたしは再び警察に呼ばれ、現場検証に立ち会うこととなった。
どうも厄介なことに巻き込まれたもんだ、と朝から舌打ちばかりしたもんだ。
警察の話では、女は言葉を全く話さなかったが、渓流とか水に関するものには、一定の関心を示し、それゆえに今回の現場検証となったらしい。
いずれにしても面倒はごめんだ。
現場のT川は、おりからの昨夜までの豪雨で増水しており、川幅も倍くらいに広がっている。
心なしかタマー(わたしは、女をこう名づけた)は頗る元気が良い。
川原にカヤックが一艇置いてあってパドルを持った男がその横に突っ立っている。
どうやらこの増水している川で、カヤックをやろうと思っているようだ。
非常識な奴だ。
警官もそう思ったようだ。
「こんな日に漕ぐんですか」
「い、いや、ちょっと見に来ただけです」
「そんな格好でですか。ヘルメットかぶってるし・・・」
男は、きまり悪そうにカヤックとパドルを置いたまま、どこかに行ってしまった。
「ちっ、ったくもう常識っつーもんがねえんだ奴らは」
警官がはき捨てるように言った。
と、その時、タマーがすごい勢いでカヤックにかけよると、そのままコックピットにのりこんだ。
次の瞬間タマーは流れの上にいた。
「な、何をするんだー」
どこかに消えていたカヤッカーが、いつの間にか現れた。
「おれのS-6を返せ」
タマーは、流れの中のむちゃくちゃ泡だっているところで、ぐるぐる水車のようにまわりはじめた。
あきらかに、腕に覚えのある、のりくちだ。
「でも、あの人、スプレーつけてないよー」
カヤッカーが叫んだ。
と、タマーはすごい勢いでぐるぐる回転しながら沈みはじめ、やがて姿を消した。
その後、カヤックとパドルは回収されたが、タマーは必死の捜索にもかかわらず、ついに発見できなかった。
そのうちどこかに、ずぶ濡れの格好でうちあげられるんだろう。
わたしはそう思った。
この小説はフィクションであり、特定のモデルは存在しません
『パドル・ウーマン』
英国の海岸で、ずぶ濡れで発見された男、「ピアノ・マン」が話題になっている。
大きな話題にはならなかったが、わたしは、数年前のある事件を思い出した。
それは、早朝わたしが、T川に沿って続く遊歩道を散歩していた時の事だ。
ひとりのずぶ濡れの女が、川原に倒れていた。
まだ、生きているようだ。
体温があるし、呼吸もしている。
抱き起こすと、口の端から一筋の血をたらし、白目をむいていたので、一瞬ひるんだが、たまたまとおりかかった初老の男に手伝ってもらい、警察に連絡をしたり、保温のためのタオルを確保したりと、ひととおりの介抱の真似事をやった。
推定年齢、12才から30才。ようするに年齢を特定できない、高橋Qちゃんタイプの小柄な女だ。
肩のあたりを軽く叩いて声をかけると、
「タマー」
と、うめいた。
結局これが、わたしが聞いた、この女の唯一の言葉になった。
やがて、救急隊が来て、警察が来て。
わたしは、休暇の一日の大部分を、警察署での事情聴取に費やすはめになった。
数日後、わたしは再び警察に呼ばれ、現場検証に立ち会うこととなった。
どうも厄介なことに巻き込まれたもんだ、と朝から舌打ちばかりしたもんだ。
警察の話では、女は言葉を全く話さなかったが、渓流とか水に関するものには、一定の関心を示し、それゆえに今回の現場検証となったらしい。
いずれにしても面倒はごめんだ。
現場のT川は、おりからの昨夜までの豪雨で増水しており、川幅も倍くらいに広がっている。
心なしかタマー(わたしは、女をこう名づけた)は頗る元気が良い。
川原にカヤックが一艇置いてあってパドルを持った男がその横に突っ立っている。
どうやらこの増水している川で、カヤックをやろうと思っているようだ。
非常識な奴だ。
警官もそう思ったようだ。
「こんな日に漕ぐんですか」
「い、いや、ちょっと見に来ただけです」
「そんな格好でですか。ヘルメットかぶってるし・・・」
男は、きまり悪そうにカヤックとパドルを置いたまま、どこかに行ってしまった。
「ちっ、ったくもう常識っつーもんがねえんだ奴らは」
警官がはき捨てるように言った。
と、その時、タマーがすごい勢いでカヤックにかけよると、そのままコックピットにのりこんだ。
次の瞬間タマーは流れの上にいた。
「な、何をするんだー」
どこかに消えていたカヤッカーが、いつの間にか現れた。
「おれのS-6を返せ」
タマーは、流れの中のむちゃくちゃ泡だっているところで、ぐるぐる水車のようにまわりはじめた。
あきらかに、腕に覚えのある、のりくちだ。
「でも、あの人、スプレーつけてないよー」
カヤッカーが叫んだ。
と、タマーはすごい勢いでぐるぐる回転しながら沈みはじめ、やがて姿を消した。
その後、カヤックとパドルは回収されたが、タマーは必死の捜索にもかかわらず、ついに発見できなかった。
そのうちどこかに、ずぶ濡れの格好でうちあげられるんだろう。
わたしはそう思った。
この小説はフィクションであり、特定のモデルは存在しません