『白洲次郎 占領を脊負った男』 上下   北 康利

白洲正子のエッセイを 何冊か読んだことがある

その旦那の 白洲次郎については 名前はよく聞くが どんな人か知らなかった

なんでも 日本一かっこいい男 だったらしい

芦屋の精道小学校出身 

以前 住んでいたところにほど近い 震災の時に横倒しになった高速道路のすぐ近くだ

神戸一中(現 県立神戸高校)に進む

俺の 姪っ子の先輩か

ケンブリッジ大の 最難関のクレア・カレッジに入学

あ 俺の母校 なわけないわな

このへんになると もうついていけないんだが 育った環境の リッチさぶりにも ついていけない というより 別の世界と言う感じだ

旧制中学の最上級になったとき 親に買ってもらった ペイジ・グレンブルック1919型というアメ車を乗り回していたそうだ

一般に 旧制中学は 5年制で 17才で卒業したらしい

スポーツカーを乗り回していた小学生 花形満は 白洲次郎がモデルだったらしい←うそつけぇぇぇ

そして 芦屋の次に移り住んだ伊丹の家の敷地が四万坪あったそうだ

この大富豪の父親の会社も 金融恐慌で倒産し 次郎は 英国留学を 中断せざるを得なくなっている

しかし 英国仕込みの紳士の精神とイングリッシュは のちに 次郎の活躍の基礎を生成している

圧巻は 戦後 日本国憲法制定の際の 占領軍との激しい駆け引きだ

新憲法を日本人の手で という日本側と 戦中に すでに準備を始めたらしい 占領軍主導の新憲法を押し付けたい米国側の 熾烈なやりとり・・・

あまり 憲法に関心がなかったのだが 憲法の在り方に すくなからず 興味を感じた

笑えるのが 天皇はシンボルである という表現に シンボルってなんだ という話になり 側にあった 『井上の英和辞典』で 象徴と載っていたので それにした という

ええんか そんなんで・・・

そんなわけで GHQの押し付けに 頑強に反抗した次郎ではあるが その日本国憲法に対して こんなコメントを残している

「プリンシプルは実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」