これは、一種の妥協かも知れんが、別に、左右、同じように技ができなくても、良いんではないか、と思うように、なってきた。
カートやスプリット、スターン・カットぐらいは、左右できた方が良いと思うが、どうも、完成度、というか、完成したときの、質、自体が、違うような気がして、ならない。
例えば、左カートが、得意サイドなのだが、スーパー・クリーンに関しては、なぜか、右の方が、うまくいく、とか、左のスプリットは、どうしても、バウを入れたあとの、ふりかぶり? が、浅いとか、、
このあたりまでは、練習経歴による完成度の遅速、というべきもので、なんとか、練習によって、カバーできるのだが、バウ・スクリューとか、トリッキーなんかパドル形状に原因があるものは、難易度に、左右で、違う技をやっているような相違を感じる。
人間は、そもそも、シンメトリーな生き物ではなく、内臓の収まり方も、まったく左右対象なわけではなく、利き腕なんかも、生まれつき、持っているものだ。
その上、カヌーのパドル形状も、右手で操作して、左手はフリーにする、とか、シンメトリーなものではない。
極端な偏りは、修正が必要だろうが、左右対称なものではない、と割り切れば、気が楽だ。
わたしは、快楽主義者なので、そう考えることにした。
カートやスプリット、スターン・カットぐらいは、左右できた方が良いと思うが、どうも、完成度、というか、完成したときの、質、自体が、違うような気がして、ならない。
例えば、左カートが、得意サイドなのだが、スーパー・クリーンに関しては、なぜか、右の方が、うまくいく、とか、左のスプリットは、どうしても、バウを入れたあとの、ふりかぶり? が、浅いとか、、
このあたりまでは、練習経歴による完成度の遅速、というべきもので、なんとか、練習によって、カバーできるのだが、バウ・スクリューとか、トリッキーなんかパドル形状に原因があるものは、難易度に、左右で、違う技をやっているような相違を感じる。
人間は、そもそも、シンメトリーな生き物ではなく、内臓の収まり方も、まったく左右対象なわけではなく、利き腕なんかも、生まれつき、持っているものだ。
その上、カヌーのパドル形状も、右手で操作して、左手はフリーにする、とか、シンメトリーなものではない。
極端な偏りは、修正が必要だろうが、左右対称なものではない、と割り切れば、気が楽だ。
わたしは、快楽主義者なので、そう考えることにした。
といったところでしょうね