『万里の長城 攻防三千年史』来村多加史
読了しました。
この人の本は、くり返し読みたくなる。
いかに自分に、中国の歴史知識が浅かったか、と思い知らされる。
ということは、膨大な埋蔵量の金塊の一部を、掘り当てたようなものだ。
これからいくらでも、楽しめる。
同時に
『シュリーマン旅行記 清国・日本』 ハインリッヒ・シュリーマン
を読んだ。
以前、読みかけて、積んだままになっていたのだが、万里の長城の話が出ているので、にわかに興味がわいてきたのだ。
今は、観光の目玉となり、多くの人が訪れる、この建造物も、19世紀中ごろ、シュリーマンが訪れた清朝の時期には、放置され、荒れるにまかされていた。
中国の長い歴史のなかで、長城を必要とした時期と、必要としなかった時期がある。
清朝は、長城を造らなかった。
名君の誉れ高い康熙帝は、国防は民衆の幸せを保証することにあり、民衆が心を一にすれば、長城の守りなどなくとも、辺境におのずと堅い城ができる、というようなことを述べて、修復を許可しなかったそうだ。
そして、その方針を受け継いだ清朝の歴代皇帝に、長城の本格的な修復を試みたものはいないのだそうだ。
ま、長城を突破して打ちたてた、北方民族の王朝なので、そんな具合になるのかな、という感じだ。
シュリーマンが訪れた頃の清朝は、日本で言うと、幕末なのだが、すでに、政治的に腐敗し(シュリーマンの目から見てだが・・)アヘンがまん延していたという。
ちなみに、シュリーマンは、この六年後に、トロイアの遺蹟を発掘する。
読了しました。
この人の本は、くり返し読みたくなる。
いかに自分に、中国の歴史知識が浅かったか、と思い知らされる。
ということは、膨大な埋蔵量の金塊の一部を、掘り当てたようなものだ。
これからいくらでも、楽しめる。
同時に
『シュリーマン旅行記 清国・日本』 ハインリッヒ・シュリーマン
を読んだ。
以前、読みかけて、積んだままになっていたのだが、万里の長城の話が出ているので、にわかに興味がわいてきたのだ。
今は、観光の目玉となり、多くの人が訪れる、この建造物も、19世紀中ごろ、シュリーマンが訪れた清朝の時期には、放置され、荒れるにまかされていた。
中国の長い歴史のなかで、長城を必要とした時期と、必要としなかった時期がある。
清朝は、長城を造らなかった。
名君の誉れ高い康熙帝は、国防は民衆の幸せを保証することにあり、民衆が心を一にすれば、長城の守りなどなくとも、辺境におのずと堅い城ができる、というようなことを述べて、修復を許可しなかったそうだ。
そして、その方針を受け継いだ清朝の歴代皇帝に、長城の本格的な修復を試みたものはいないのだそうだ。
ま、長城を突破して打ちたてた、北方民族の王朝なので、そんな具合になるのかな、という感じだ。
シュリーマンが訪れた頃の清朝は、日本で言うと、幕末なのだが、すでに、政治的に腐敗し(シュリーマンの目から見てだが・・)アヘンがまん延していたという。
ちなみに、シュリーマンは、この六年後に、トロイアの遺蹟を発掘する。