今日は、某W大学の教授、ティムさんが、漕ぎに来ておられた。
彼は、地質関係の学問を専門にしておられるようで(すいません、適当です)当然、鉱物などに詳しく、小耳にはさんだところ、地球の石と地球外の石の比較研究とか(すいません、ここのところも、適当です)やっておられるらしい。
なわけで、天文・宇宙に詳しい、おか○しさん、なんかとも、話が、合うようだ。
こんな、理系のおふたりに対して、文系の典型みたいな私にとって、石といえば、昨日読んでいた、つげ義春のマンガ 『無能の人』である。
強引に私感で言うならば、つげ義春は、水木しげると、内田百?の間に位置する作家だ。
主人公は、本業は(たぶん)マンガ家なのだが、マンガを描くということに、勝手に見切りをつけて、多摩川の河原で、石を売っている。
石は全部、多摩川で拾ったもので、『孤舟』『雲』などと、もったいぶった名前がついている。
ある日、原画を売って、三万円を手にしたとき、多摩川の石じゃあ、売れないだろう、ということで、採石をかねて、山梨の桂川に、家族旅行に行く。
早々に、採石をあきらめて、ひなびた鉱泉旅館に、家族三人で泊まった夜、風に乗って、虚無僧の尺八の音が、寥寥と聞こえてくる。
妻が、広い宇宙に三人だけ取り残されたような、強烈な孤独感を吐露する。
ところが、最後に、主人公の男が、寝床で呟く言葉が凄い。
「いいじゃないか おれたち 三人だけで・・・」
まだ、長男が幼なかった頃、家族三人で、季節はずれの中禅寺湖畔の、うらぶれた民宿に、宿泊したことがある。
暗い色の湖の上を、冷たい風が、吹きすさんでいるのをみて、そこはかとない孤独感に襲われたことがある。
だから、この家族の孤独感も、わかる気がする。
ところで、こんなマンガを、ティムさんが読んだら、どんな反応を示すんだろうなあ。
彼は、地質関係の学問を専門にしておられるようで(すいません、適当です)当然、鉱物などに詳しく、小耳にはさんだところ、地球の石と地球外の石の比較研究とか(すいません、ここのところも、適当です)やっておられるらしい。
なわけで、天文・宇宙に詳しい、おか○しさん、なんかとも、話が、合うようだ。
こんな、理系のおふたりに対して、文系の典型みたいな私にとって、石といえば、昨日読んでいた、つげ義春のマンガ 『無能の人』である。
強引に私感で言うならば、つげ義春は、水木しげると、内田百?の間に位置する作家だ。
主人公は、本業は(たぶん)マンガ家なのだが、マンガを描くということに、勝手に見切りをつけて、多摩川の河原で、石を売っている。
石は全部、多摩川で拾ったもので、『孤舟』『雲』などと、もったいぶった名前がついている。
ある日、原画を売って、三万円を手にしたとき、多摩川の石じゃあ、売れないだろう、ということで、採石をかねて、山梨の桂川に、家族旅行に行く。
早々に、採石をあきらめて、ひなびた鉱泉旅館に、家族三人で泊まった夜、風に乗って、虚無僧の尺八の音が、寥寥と聞こえてくる。
妻が、広い宇宙に三人だけ取り残されたような、強烈な孤独感を吐露する。
ところが、最後に、主人公の男が、寝床で呟く言葉が凄い。
「いいじゃないか おれたち 三人だけで・・・」
まだ、長男が幼なかった頃、家族三人で、季節はずれの中禅寺湖畔の、うらぶれた民宿に、宿泊したことがある。
暗い色の湖の上を、冷たい風が、吹きすさんでいるのをみて、そこはかとない孤独感に襲われたことがある。
だから、この家族の孤独感も、わかる気がする。
ところで、こんなマンガを、ティムさんが読んだら、どんな反応を示すんだろうなあ。