『猪瀬や西岡達の変態本読んで場合じゃねーぞ。権力者に言い寄るカスヤロー達の言い分は、ロッカーは、聴かんでいい』
という、Venちゃんからのお達しである。
猪瀬の政治家としての評価は、よくわからないが、歴史家としては、かなり評価できるんじゃないか、と思う。
少なくとも、怨霊歴史学をでっちあげて、クンショウまでとった
梅原某
よりは、百倍良い。
資料をしっかりと読んでいる、ということだけでも、評価できるでしょう。
梅原某なんかに比べると・・・。
で、
「黒船の世紀」 猪瀬直樹
むっちゃ 面白かったっす。
単行本で、1993年に刊行なので、かなり古い本なのだが、
それだけに、9.11、アフガン戦争、イラク戦争なんかを通過してきた今、黒船にはじまるガイアツとしてのアメリカのやり口を、現在のそれと比較してみると、実に興味深いものがある。
日露戦争以後、日米がもし戦争をやったなら、というテーマで、開戦論、反戦論、日本人、アメリカ人、イギリス人、軍拡、軍縮、楽観論、悲観論、さまざまな立場のひとびとが、未来戦記を書き、政治家、軍人、国民、に現実に影響を与えた。
それらが滅茶苦茶に入り組んだベクトルの先が、日米戦争だったのである。
それにしても、人々の思惑は、往々にして、皮肉な結果を生み出す。
日米戦争は、あってはならない、という意図でイギリス人のヘクター・C・バイウォーターという人物によって、書かれた未来戦記が、対米英協調派と言われていた山本五十六に読まれる事によって、結果的に「真珠湾奇襲」の構想が浮上し、日米戦争の口火を切る事となる。
意外だと思ったのは、陸相時代は、強硬な開戦論者だった東条英機が、総理大臣に任命され、いざ、日米開戦を決めよう、という段階で、逡巡していた、というのである。
もはや、日米戦争に「成算なし」と、誰も言えない空気であったらしい。
そこには、楽観的な日米未来戦記が国民をあおったイケイケ・ムードも、一枚かんでいるのだろう。
この辺の雰囲気は、
「ぼくたちの好きな戦争」 小林信彦
に書かれているようなものが、あったのではないだろうか。
いずれにしても、メディアのあおりには、かなり、用心した方が良さそうだ。
さて、この本は、満州事変の仕掛け人、石原莞爾が、極東軍事裁判のアメリカ人検事に「平和に対する罪」を問われて言った言葉でしめくくられている。
「ぺりーが来航しなければ、日本は鎖国の中で充分に平和だった。裁くならペリーを裁け!」(爆笑)
という、Venちゃんからのお達しである。
猪瀬の政治家としての評価は、よくわからないが、歴史家としては、かなり評価できるんじゃないか、と思う。
少なくとも、怨霊歴史学をでっちあげて、クンショウまでとった
梅原某
よりは、百倍良い。
資料をしっかりと読んでいる、ということだけでも、評価できるでしょう。
梅原某なんかに比べると・・・。
で、
「黒船の世紀」 猪瀬直樹
むっちゃ 面白かったっす。
単行本で、1993年に刊行なので、かなり古い本なのだが、
それだけに、9.11、アフガン戦争、イラク戦争なんかを通過してきた今、黒船にはじまるガイアツとしてのアメリカのやり口を、現在のそれと比較してみると、実に興味深いものがある。
日露戦争以後、日米がもし戦争をやったなら、というテーマで、開戦論、反戦論、日本人、アメリカ人、イギリス人、軍拡、軍縮、楽観論、悲観論、さまざまな立場のひとびとが、未来戦記を書き、政治家、軍人、国民、に現実に影響を与えた。
それらが滅茶苦茶に入り組んだベクトルの先が、日米戦争だったのである。
それにしても、人々の思惑は、往々にして、皮肉な結果を生み出す。
日米戦争は、あってはならない、という意図でイギリス人のヘクター・C・バイウォーターという人物によって、書かれた未来戦記が、対米英協調派と言われていた山本五十六に読まれる事によって、結果的に「真珠湾奇襲」の構想が浮上し、日米戦争の口火を切る事となる。
意外だと思ったのは、陸相時代は、強硬な開戦論者だった東条英機が、総理大臣に任命され、いざ、日米開戦を決めよう、という段階で、逡巡していた、というのである。
もはや、日米戦争に「成算なし」と、誰も言えない空気であったらしい。
そこには、楽観的な日米未来戦記が国民をあおったイケイケ・ムードも、一枚かんでいるのだろう。
この辺の雰囲気は、
「ぼくたちの好きな戦争」 小林信彦
に書かれているようなものが、あったのではないだろうか。
いずれにしても、メディアのあおりには、かなり、用心した方が良さそうだ。
さて、この本は、満州事変の仕掛け人、石原莞爾が、極東軍事裁判のアメリカ人検事に「平和に対する罪」を問われて言った言葉でしめくくられている。
「ぺりーが来航しなければ、日本は鎖国の中で充分に平和だった。裁くならペリーを裁け!」(爆笑)
「東京レクイエム」1989
「黒船の世紀」1993
かつて、結構面白い仕事をしてきた人が、政治に取り込まれ、精彩を失ってしまう。
自分が取り上げてきた、反体制を標榜しながら、結局は、体制のしがらみの中で、埋没したり、理不尽な行動を取らざるを得なかった人物たち、の累々たる屍の列に、自分も連なる事に気づいた時、彼は、どんな仕事をするんでしょうかね。