遅くなったけど。
AYちゃん。
お誕生日おめでとう
ついに○○歳だね。
さて、話はまったく変わるのであるが、時々、30歳の頃って、オレ何してたんかなあ、と考える事がある。
あ、この話は、オレの30歳の頃の話であって、前フリとは、関係ないので、そこのところよろしく。
で、30歳の頃のオレの記憶は、走っていた である。
しかも、夜
30歳前のオレは、スイミングで選手クラスを担当しており、選手の強化しか頭になかった。
職場では浮きまくっており、ストレスのためか、中性脂肪、LDLコレステロール、血圧ともに高く、太っていた。
たぶん今より老けていたのではないだろうか。
うちのかみさんなどは、選手未亡人と呼ばれていた。
今はカヌー未亡人である。
自分の出っ張った腹を眺めながら、30までになんとかせにゃー、と思ったのであった。
そこで、思い出したのが、栄光の400勝投手、金田正一の言葉
『とにかく走りこめ』だった。(このへん結構フィクション入ってるなあ)
当時私は、芦屋浜のシーサイドタウンという、埋立地に構築された地域に住んでいた。
この外周は堤防が取り囲んでおり、それに沿って遊歩道が続いていた。
途中に石野○子の実家なんかも配置されていた。
太平洋ひとりぼっちの堀江謙一も同じ地域にいたなあ。
とにかく、格好のジョギングコースだったわけだ。
仕事が終わると、夕飯を食う前に、堤防のうえで愛を語ったり、愛に耽ったりしているアベックを、かたっぱしから海側のテトラに叩き落しながら、夜道を走るオレだったのさ。
で、若い頃はとてつもなく高い壁に思えた30歳の壁はおろか40歳の壁も気がついたらすり抜けていて、今に至っているのだが、20代後半に、まさか40代になった時の自分がこんな健康優良オヤジになっていて、図らずもサイボーグなどと悪口を言われて、若い人たちにイジメられているなんて、想像できなかったなあ。
今怖いのは、痛風と血圧と、愛を失った時の胸の痛み・・ぐらい・・・かな。
AYちゃん。
お誕生日おめでとう
ついに○○歳だね。
さて、話はまったく変わるのであるが、時々、30歳の頃って、オレ何してたんかなあ、と考える事がある。
あ、この話は、オレの30歳の頃の話であって、前フリとは、関係ないので、そこのところよろしく。
で、30歳の頃のオレの記憶は、走っていた である。
しかも、夜
30歳前のオレは、スイミングで選手クラスを担当しており、選手の強化しか頭になかった。
職場では浮きまくっており、ストレスのためか、中性脂肪、LDLコレステロール、血圧ともに高く、太っていた。
たぶん今より老けていたのではないだろうか。
うちのかみさんなどは、選手未亡人と呼ばれていた。
今はカヌー未亡人である。
自分の出っ張った腹を眺めながら、30までになんとかせにゃー、と思ったのであった。
そこで、思い出したのが、栄光の400勝投手、金田正一の言葉
『とにかく走りこめ』だった。(このへん結構フィクション入ってるなあ)
当時私は、芦屋浜のシーサイドタウンという、埋立地に構築された地域に住んでいた。
この外周は堤防が取り囲んでおり、それに沿って遊歩道が続いていた。
途中に石野○子の実家なんかも配置されていた。
太平洋ひとりぼっちの堀江謙一も同じ地域にいたなあ。
とにかく、格好のジョギングコースだったわけだ。
仕事が終わると、夕飯を食う前に、堤防のうえで愛を語ったり、愛に耽ったりしているアベックを、かたっぱしから海側のテトラに叩き落しながら、夜道を走るオレだったのさ。
で、若い頃はとてつもなく高い壁に思えた30歳の壁はおろか40歳の壁も気がついたらすり抜けていて、今に至っているのだが、20代後半に、まさか40代になった時の自分がこんな健康優良オヤジになっていて、図らずもサイボーグなどと悪口を言われて、若い人たちにイジメられているなんて、想像できなかったなあ。
今怖いのは、痛風と血圧と、愛を失った時の胸の痛み・・ぐらい・・・かな。