ここ数日間、ブログの調子が悪くって、書き込むページにログインできなかった。
これって、トイレに入っておしりをふこうと思ったら紙がないようなイラダチを覚えますね。ホント。

友人の息子のことがあってから、列車事故について、いったい何が悪かったんだろう、てことを、いろいろ考えてしまう。

運転手の過失は、どうやら動かし難い。
しかし、日勤教育なるものが、運転手を精神的に追い込んでいたらしく、JRの運転手教育にも問題があるらしい。
そして、JR,,経営陣の利益優先の考え方が、安全を二の次にしていたらしい。

国鉄が民営化されJRとなった瞬間に、利潤を追求せねばならない宿命を背負った。が、しかし、純粋に利潤追求を考えたなら、今回のような事故が、どれだけ会社に不利益をもたらすのか、まじめに考えなかったのだろうか。
また、運転手がその職務をまっとうするためには、精神的安定と、それに裏付けられた集中力の継続が必要だなんて、普通に考えれば至るべき結論だと思うんだが・・・。

先ごろの三菱自動車の不祥事にしてもそうだが、純粋に利潤を追求していくと、いかに顧客に対して誠実か、というところに落ち着くのではないだろうか。

だが、顧客(鉄道を利用するすべての者)の側にも問題がないとはいえない。
電車を利用していて、いつも思うのは『ただ今、2分遅れての到着でございます』とかいう、ほとんどパラノイアックな場内アナウンスだ。
これは、客は少しの遅れも決して許してくれない、という強迫観念にすら思える。
ふとわが身を振り返ると、そこに少しの遅れにもいらいらするオレがいて、愕然とするのだ。

この間読み終えた本に、気になることが書いてあった。

公共教育は基礎的な読み書き算数と歴史を少しずつ教えた。
だが、これは、いわば『表のカリキュラム』である
その裏にははるかに大切な裏のカリキュラムが隠されていて、その内容は三つ
時間を守ること
命令に従順なこと
反復作業を嫌がらないこと

だそうだ。

つまり、義務教育とは、流れ作業員養成用特別システムだ、というのだ。
そーんな事を考えていくと、最近、どうも戦後義務教育の持つ矛盾が、いろんな形で噴出してきているように思える。

かなり前だが、テレビで中島らもひさうちみちおが、すごいスローなトークをしていた。
記憶にしたがって再現してみる。
普段の三倍以上、時間をかけて読んでください。

わたしら、まあ、こーんな、牛がそしゃくしてるみたいな、しゃべりかたしてるわけなんですけど・・・・。よのなか、すべてにおいて、スピードがはやくなりすぎてんのとちゃいますか?
だれかが、はどめかけな・・・・。あかんのとちゃうかなあ


わたしもそう思いますう。